精神性豊かな美術として日常空間に於いて楽しみ、安らぎと癒しをもたらす仏教美術の世界に浸ってみてはいかがでしょうか。 大阪市旭区のあさば佛教美術工房

古来から木の文化に根ざす日本人は、柔らかく独自の精神性を育んできた民族です。
時には、主体性がないとか、模倣の繰り返しと証する世界の声もあるようですが、その繰り返しの中から生まれてきた感性や芸術、宗教観などなくてはならない財産になっております。
歌舞伎、能、建築、相撲など繰り返しの稽古で培われ伝えていく芸術であり技術です。
ともすると、個性や斬新さの欠如が指摘されやすいところですが時代性や風刺などあらゆる情報を取り込み、先人たちは自分たちが生きているその時間を強烈に表現してそれが現在でも受け継がれ、批判の的になることを覚悟の上で上演、披露してきた部分もあります。
同じ演目、技をいかに個性的に表現するか、美しく決めるかその永遠の目標に取り組んでいかなければなりません。
ある一線を越え、到達した者だけがなしうる又は感じる世界がそこにはあります。
人の目ばかりを気にして「受ける作品や所作」を追い続けても新しく生まれ伝える物は出てきにくいものです。
一つでも「私が伝えたいメッセージは、これです。」という明確な事柄を入れるべきだと考えます。
それは古かろうが新鮮であろうがいい。
その意思のほうを私は大事にしたいと思っています。

このところ問題にされることの一つに、地球規模に考える時、世界遺産の中でも自然の保護が一番の問題であり、国家を挟んでの難しい問題の最たるものになっているようですが、「地球は生きている」心ある人の中にそれに異論を唱える人はいないでしょう。
世界中でその保護に取り組み、我が興南会の会員や鹿児島県人会のメンバーの中にも心を砕いて将来の子供たちのために頑張っている方々が多くいらっしゃいます。
そんな自然は計り知れない心の安らぎをもたらすものには違いありません。

ジャイアント・セコイア
時に私の場合、めったにお目にかかれないものを見に行ったり、出向いていくことを「会いに行く」などの言葉で擬人化することがあります。
言葉では表現できない「感じるもの」とでも言うべきでしょうか。特に巨木がそれで、数百年、又は数千年の齢をその木肌に刻んだ姿は見る者を素直でまっすぐで新鮮な気持ちにしてくれます。
屋久島の縄文杉に始まり、各地の楠や桜、栃、楢、ブナなど日本には世界に誇る素晴らしい大木が残されています。
そして、今年、念願だった世界一の体積を持つロスアンゼルスの北、セコイア国立公園の頂上近くに「ジャイアント・セコイア」という木にやっと会いに行くことが出来ました。

高さ82.5メートル、直径9メートルのまさに巨木の中の巨木です。
木そのものを見て生まれて初めて「畏怖」を感じました。
触りたい、近づきたい、いつもはそんな気持ちを抑えられないほど木が好きなのですが今回だけは頭が自然に下がりました。
そこには「General Sherman」とあり日本で言う「御神木」の意味の言葉が記されています。
この付近には、直径7メートル、8メートルの大きさの木がニョキニョキ立っています。
こんな木が数十本もあるこの山、まるで自分が「こびと」にでもなったような感覚に陥ってしまいました。
この公園は、地域の住民を始め、国が支えとなって手付かずの自然の状態を保っています。
これも将来の子供たちのために残すべき財産の一つです。


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