精神性豊かな美術として日常空間に於いて楽しみ、安らぎと癒しをもたらす仏教美術の世界に浸ってみてはいかがでしょうか。 大阪市旭区のあさば佛教美術工房

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5月のピックアップ

展覧会

展覧会

今月のピックアップは展覧会についてです。
「今月のピックアップ」では 仏教の世界に親しみを持っていただける様、各回で一つの作品やテーマを取り上げご紹介します。
対話形式の掲載にしていますので、ぜひ見てください。

今回は展覧会で大切にしていること、またそのエピソードをお聞きします。

今は、展覧会を年に大体二本ぐらいやっています。
大仕事を作業中の場合は、年に一本になることもありますけど、百貨店や美術館など いろんなところで個展をしてきました。

仏師や作家は、普通に良いものを造ろうと思って、みんな頑張っているんです。
でも、それが例えばコンクールであったり、展覧会の場にふさわしくないお姿になってしまう。
展示の方法が悪いと言われれば それまでなんだけど
安置する場所によって、顔のつくりとかを今は変えています。

展覧会の会場というのは自分たちの工房で見るのとは、何か真逆に見えたりもするので、最初やった時は本当に面食らいました。

会場へ持っていって、飾りつけをして初めて
「えー? この方はこんな風に見えるのか」と感じたことがあって。

私が運慶さんを、そして師匠を追いかけてきて作っていったスタイルというのが、お寺のお堂の灯明や護摩を焚いた灯りで照らされることを想定しているんです。

だから、目の眼球の丸みをぐりんって前に出してリアルに造ってしまうと蛇(じゃ)の相っていうか、鬼の相になっちゃうことがあるので、そうならない様に気をつけて、昔からのやり方でやっていたけど、美術館の展示とか、例えば会社のロビーとかに飾られると、
「あっ、これは!」って思うことが何回もあって。

お堂とも違って、自分が造った面立ちに見えない光で、
展示の高さも低い場合が多いんです。

最近はそこまで多くないですが、当時の美術館の展示は、上から光を当てる場合が多かったので、
普通に造っちゃうと、目の下にすっごい隈ができたりするのがあって、光の方向を真上からじゃなくて、
反対側の方向から狙ったりと 光の向きには すごく気を遣って展示をします。

仏像の場合、私たちは座った時に少し上にお顔が来るようにとか、 立った状態だったら視線の先に来るようにしています。

作品を展示している段の高さが70cmぐらいで、
美術館ではみんなは歩いて鑑賞するので 作品を見下ろす形になってしまうので、少し台を設けて、ちょっと かさ上げをするなどもしています。

そういったことで少しずつ修正をしていって、今の形になっているんですけど、それでもまぁ、会場で見ていただいているお姿は、本来の50%ぐらいの状態で見ていただければ良いほうではないかと思っています。

だから、余程お気に召した作品があったお客さんにはソファー等に座ってもらって、そこに持っていって、その方の視線の先へ作品を上にあげて、ご覧に入れる様にはしています。

それは やっぱり私の中で礼儀だなと思って、
そうしているんです。

展覧会はいろんなところで、もう80回近く個展をやっているので、それで「好きなように見たらどうぞ」という訳にはいかないですよね。
"なるべく親切に見せてあげたいなぁ" と思うんです。

自分の思った通りに造ったものが、工房では良かったけど、そこではちょっと異質に見えたり、
後になって こんなはずじゃなかった
こんな作品を彫ったつもりじゃなかった
というのは、やっぱり避けたい。

顔のつくり、特に目のつくりっていうのは、
安置される場所などによって変えていかないと 拝みにくい、拝観や鑑賞しにくいものになってしまうので、
例えば、新しい美術館やお堂のどこどこで、こういうところに納めたい、これ!という作品を一緒に作り上げていく時には、 いろんなお話をして、できる限り建築の段階から ご一緒させてもらう様にしています。

32歳でデビューしてそこから10年ぐらいは、年5〜6本の展覧会をやっていたんです。
2ヶ月に一回。

無名の時代というのは、展覧会をせずに作品を覚えてもらうのはまず無理なので、名前を少しでも生活の中に入れていただけるように、数を打とうと。

師匠の作品は、仏像がほぼほぼ95%で、その間にちょっと肖像が入るぐらいで、お寺に関するものばっかりです。
だから、自分ではもうある程度納得のいくところまで 仏像は勉強させてもらったと思ったんですけど、
たまたま私が独立した時には、その仏像のお仕事がほとんどなかったんですよ。

ほぼゼロ。

当時は仏師・仏具屋さんの数も、
もう飽和状態だったと思います。

普通は、仏像の工房を構えると まず仏具屋さんが出入りをしないと仕事がないっていうのから始まります。
お寺でも仏具屋さん※1でも、もう先輩方がそこで仕事をしてたので、私が入り込むスペースがなかったんですよ。

それで 唯一空いてるところが百貨店で、
どなたも行ってなかったんです。

今でこそ こうやって百貨店で仏師として展覧会をさせてもらってますけど、百貨店自体が古物商とか仏事(ほとけごと)は持ち込まんといて欲しいという風潮でした。

最初に 京都の百貨店へ仏像を持って
「見てほしいんです」って見せに行った時には、
門前払いでした。

「あぁ〜 仏師? あかん あかん。」って言われて。
次に大阪で2つの百貨店にも行きましたけど、
これも門前払いでした。

それで、家内の同級生が東京にいて、
その人と一緒にまず東京の日本橋の百貨店に行きました。

ここはね 

門前払いでした。
もう全然ダメ。
4軒とも。

それで、たまたまその時に彫刻展をやっていた日本橋の別の百貨店へ持っていたんです。
その百貨店の方は出てこなかったけど、
その画廊※2さんが対応してくれたんです。

その時に仏像だと伝えたら、
古いものやと思ってたんでしょうね。
「なんや、仏像かいなぁ。。」って言ってね。

その時は、私と家内が一緒に合作した作品を持って行ってたんです。

截金の入ったその仏像をパッと見せたら、

(画廊の人)「ん? 綺麗やなぁ。
       え? これ。
        あぁ、、仏像やなぁ。
       え? この金は何? 描いたん?」

( 先生 )「いや、これは截金です。」

(画廊の人)「截金かぁ!」

ってなって、
で、その画廊さんがその百貨店の部長さんのとこに
直接連れて行ってくれたんです。

( 部長 )「おいおい、うちに仏像持ち込むなよ。」

(画廊の人)「いや、いっぺん見なはれっ」って、見せて、

( 部長 )「へぇ〜、截金が入った仏像かぁ、
       うん、分かった、これ置いていけ!」

( 先生 )「いやいや、展覧会で置いてもらうために
       見せにきたものやから…」

( 部長 )「なんや? 売るんちゃうんか?」

( 先生 )「では、同じもの造ってきます!」

( 部長 )「どれぐらいかかる?」

( 先生 )「半年です。」

( 部長 )「は・ん・と・し?、来月持って来い!」

 って言われて。(絶句・笑)

それで来月というのは、さすがに無理やからと、それを持ってすごすご帰ってきたら、その画廊さんの大阪支社の人が京都の桂まで来てくれたんです。

それでその画廊の大阪支社長が、

(画廊の人)「ほんなら、いっぺん
       京都の大丸さんでやってみましょうか。」

( 先生 )「10点ぐらいの 仏像でいいですか?」

(画廊の人)「あぁ、 仏像ダメ。」

って言うて、
最初に言われたのが「鳥」

「京都の小鳥シリーズ」といって、
京都の地域の名前で<長岡京>、<東山>、<宝ヶ池>とか、そういう地名を取って、そこに居てる小鳥を彫り分けるといったシリーズもの。

一番最初にカワセミって綺麗な色をして可愛いなっていう、画廊さんから外題(げだい)3を頂いて
"嵯峨野 カワセミ"を作ったんですよ。

嵯峨野 カワセミ

嵯峨野 カワセミ

これを3日に1個ずつ造ったんですよ。
(できたら、)はいっ、(できたら、)はいって(笑)
渡して、彩色してもらう。
懐かしいですわぁ。
今やったら稚拙やなぁって思いますけどね。

実際のカワセミからするとかなり省略して本当の雰囲気だけ。
竹も実際にはもっとリアルに彫るけれど、それを「彫るな」と言われたので、そういった作風になっています。

この竹の部分を木の塊のままにしておくと割れるんで、中をドリルで奥まで抜いて空洞にしています。
それで端の穴の淵のギリギリのところで被せをして蓋をするんです。

画廊の人は ほとんど思惑をしゃべらないんですよ。

なんで鳥なんや!?

それで、もっともらしくね、
「来年は 京都が1200年祭やから、
 今から造ったらそれに間に合うんで、
 とりあえず一個造んはなれ。」

というので一個造ろうとして、
なんにしようかなと思った時、
その頃のテレビCM「京都嵯峨野に吹く風は〜♪」の音楽で、映像が竹藪のシーン、あれをテレビで見たんですよ。

竹にカワセミ。
よし、これ彫ろう!(笑)

それで、バードウオッチャーの人を繋いでもらって、
何時頃、あの枝に何の鳥が留まりますっていうのを教えてもらって、その時間に確かに ここにこの鳥がいますって写真を撮って、作品にするっていうことをしました。

一番最初に造ったものを画廊の方がお客さんに見せたら、えらい気に入って、すぐ買(こ)うてくれたんです。
お金もいただいて、それから展覧会をしようというので、
「まず 10個 造りましょう、
 で、10個 全種類 違う様に造ってください。」

モチーフは自分で考えて、それを造って出したら、
それがまたすぐ売れたんですよ。
百貨店で。

これはちょっと頑張らなあかんなと思って、
まだ材木を持っていなかったので、
父親に鹿児島に置いてあった材木の楠を分けて欲しいって言ったら「嫌じゃ。」って言われて。

それで材木を自分で調達したら、やっぱり中が濡れているので、彫りながら乾かそうと思って造った2回目の分は、
10個全部、ひび割れました。

返品になって、修理のしようもない状態だったので、
その割れたものを父親に見せに行ったんです。

「こんな風に割れるから、
 やっぱり乾いてない材木では、彫られへん。」
 って言ったら、
父親が激怒してね。

( 父親 )「なんで、
       こんな(仏像じゃない)もの彫っとるんや。」

( 先生 )「いや、俺は まだ無名やから、
       名前を覚えてもらうために、
       みんなが一生懸命 頑張ってくれてる。
       それで、こういう展覧会をして、
       画廊が間に入って やってくれてるんや。」

 って言ったら、

( 父親 )「そうか。  そやな。
       お前さんは、まだ無名やな。
       ほんだら、分けたる。」

って、言ってくれて。

やっぱり材木は乾いたら軽いんですよ。
1tトラックを自分で運転して鹿児島から持って帰ってきた材木で造った作品は 一切割れなかったんですよ。

で、4回目の展覧会では、10個を全部売ってくれて。

3年間で200個ぐらい造りました。
それを家内と二人で、
彫って、彩色して、彫って、彩色して。

そんなことをやっているから寝る暇がないんですよ。

「さぁ、どっちが先に寝るか」(笑)
でも、よぉ うちの奥さんは
付いてきてくれた、
付き合ってくれたなぁと思います。

自分の絵も描きたかったやろうし。
でも、その頃はもう一切やめて、
彩色と截金、一辺倒で付き合ってくれましたね。

そうやって売れるようになったので、材木を彫るだけの状態にしようと思って 木取り※4した分が、 丸3年が経つ頃には サラシで包んで まだ3〜40個ぐらい家に置いてあったんです。

そんなある日、突然、
(画廊の人)「はい、終わりー!」

( 先生 )「へ? 終わりって、何?」

(画廊の人)「3年でやめるって 言ったでしょ。」

( 先生 )「いや、まだこんなに ようけ木取りした木も
       ゴロゴロと多く残っているわけですよ。
       これをどうするんだ!」

 って言ったら、

(画廊の人)「捨てたら。」の一言。(一同驚き)

(画廊の人)「次、行きましょう。
       次、童(わらべ)

( 先生 )「童? ちょっと待って。
       材木がもったいないわけですよ?」

(画廊の人)「いやいや、無駄にしたのは、あなた。
       次、童の展覧会にしましょう。
       私は3年って言うたでしょ。」

 って…
 こいつ。。

最初の頃から3年でやめますと言われてたことも、
もうそんなこと 忘れてますわ。
とにかく造らなあかんので。

ほんで泣く泣くそれはもう全部、奥へ仕舞い込んで、
残っていた材木の楠で 今度は子どもを彫りだしました。

童を彫り始めて10個造って渡したら、
鳥を買うてくれたお客さんが、
こんなんも彫るんかぁというので お付き合いしてくれて その子ども も また10個売れました。

でも次のパターン、どんなモチーフにしたいか が
もう思いつかないんです。

ほんで、風神雷神ってあるじゃないですか。
あれをもうちょっと子どもにしたろうと、逃げじゃないけど、そういうのを造りました。

風神は、「風の子」。
雷神は、「光童子」、雷でピカピカっとする光から。

「風の子」と「光童子」という風にして見せたんですよ。

そしたら、
「おっ、おもろい。こんなの見たことないな」ってなって、その2つを個展じゃなくて、展覧会で2つ飾ってもらったら、注文をもらったんです。

それを5〜6個ずつ造ってというのが、個展をやらずして注文という形での仕事ができるようになったんです。

で、それを1年やりました。

(画廊の人)「はい、終わりー!
       次は、能彫※5いきます。」

能楽の翁とかのあの能。
それをいろいろな先生方が造っています。
で、それをいろんな写真とか見せてもらって、

(画廊の人)「はい、こんなん造ってください。
       柄を変えましょう。」

( 先生 )「え? 柄を変えましょうって、
       服、見たことないけど?」

(画廊の人)「それは調べてください。」

それを、1年やりました。

本当にいいなり。
ほぼ いいなりで、5年やりました。

仏師でなくて"木彫家"として5年。
兄弟弟子にも本家にも、特に先輩方に怒られましたね。
"木彫家"ってどういうことや!って。

「いやいや、飯が食えないので」って
 それで全部 もう押し切って。

「お前、仏師辞めるんやな?、辞めるんやなぁっ!」
 って怒られましたね。

すごい 辛いですね。

(画廊の人)「はい、お待たせしました。
       次に仏像 いきます。」

 で、やっと。

だからね、
3年間は「鳥」、
4年目は「童」、
5年目は「能彫」。
丸5年経って、6年目

「はぁ〜、やっと、仏像を出せるわ」と思って
こだわって "仏師 向吉悠睦" って出そうとしたら、
一回目は "木彫家" で出してくださいって言われて、
"仏師"は伏せて、"木彫家 向吉悠睦" でやったんです。

10点か12点ぐらいの仏像を造って出しました。
そしたら、今まで鳥やら何やら買うてくれたお客さんが、やっぱり来てくれて、
「向吉さん、あんた、上手なったなぁ〜」
 って言ってくれたけど、
いや、これが専門なんやけど(笑)

(お客さん)「鳥やら何やら彫ってたやつが
       仏像を造ったら、
       へぇ〜こんな截金まで入って、ほぉ〜。」

( 先生 )「あのぉ〜、元々仏師なんですけれども。」

(お客さん)「仏師、ああ、そうか!
       ほなら、これが本職か!」

ってなって、それからそのお客さんが、
また協力してくれるようになって買ってくれたんです。

鳥のシリーズの時に一番最初に生まれたのは、
まんが日本昔ばなしに出てくるような鳥、
まんがに出てくる様な可愛らしい、すずめ。

「リアルなものは絶対作ったらあかん。
 面白おかしく作ってください。」と言われてたので、
「わっ、このスズメ靴下履いてるー」って言われるぐらい足が太いとか、そういう風にもじって言われるわけで、
それが腹立って。。

最初の「あんた、上手なったなぁ〜」って言ってくれたのは 嬉しかったけど、半分 キョトンとなりました。

画廊さんの戦略は、そこやったんです。
"あんな下手くそが こんなん造れる"

その思惑を一言でも先に言うてくれてたらね、
こっちも納得するんやけどね。(笑)
リアルに彫るっていうのも多分できるやろうけど、
こいつの性分は仏像やという風に思ってくれていたんですよね。

文句を言ってたお客さんに見せたろと思って、
当時 一個だけリアルに造って 彩色はしていないものが
今、第二工房に置いてますけど。

それは、却下されたものです。

その画廊さんに怒られました。
「その人の言ってるのを 彫ってどうすんねん?」

そんな言い方やったと思います。
画廊の人は、ちゃんと面と向かって
その理由は教えてくれない人でしたね。

今、思えば、
「あんた、鳥の作家になるつもりか?
 あんたが彫りたいのは仏像やろ?
 だから、鳥のシリーズで名前が売れたら、
 いずれは そこへ行けますよ。

 だけれど、今このリアルな鳥の彫刻を
 世に出したら、
 向吉君、これをこんな風に彫ってくれ、
 こんな風に彫ってくれって
 鳥の作家になりますよ。」

「あ、そう。出したらあかんの?
 でも、腹立つなぁ、ボロクソ言われて…」

「言いたいんやったら、言わせておいたら よろしい。
 これが可愛いと思って 買うてくれるお客さんを
 今は、探しましょう。」

という風に 言ってくれてたんだろうと 思っています。

いろいろなものを彫らして、とにかくこいつの名前をお客さんに知ってもらわんことには、いきなり仏像でポンと出ても「無名やろ」って やっぱり作品を見てくれない。

それまで少しずつお話をしたり、知り合いになってたから、さっき言ったように「あんた、上手なったなぁ!」から始まったから良かったんやと思います。

画廊さんから 首根っこに縄つけられて、
そっち行ったらあかん、そっち行ったら。どうどうって。
ちゃんとこちらの進んでいく方向まで、責任持ってくれてたんやなぁって 今は思います。

でもね、こいつも 言いたい放題!
ほんまにっ!(笑)
ずっと喧嘩ごしでしたけど、
その時から20年付き合いましたね。

最初の頃、
「ベッドで寝れてないんですけれど!」※6
「うん、んで?」
 当然でしょうみたいな感じで
「これで できんようやったら、もう辞めたら?」
 みたいなね。

そんなんで世に出られるわけないって、言わないけど、
辞めるんやったら、いつでも辞めてもいいんやでって思とんやなって思ったら、くそっ、こいつ絶対に後から
「ありがとう」って言わしたろって思ってましたよ。

結局は、言いませんでしたね。
亡くなりました。


"向吉悠睦"という名前を売ってくれた、
知らしめてくれたのは、この方のおかげです。

今、そういう人を私は存じ上げないです。
 いないですね。

「彫って いらっしゃい、
 展覧会は開いてあげましょう。
 拝見して売れるかどうかの算段は
 展覧会を開いて やりましょう。」
で終わるんですよ。

売上が上がらなかったら、百貨店や間に入っている画廊さんは自分たちも困るけど、その人の生活の保障しなくていいんですよ。

その人の生活まで面倒を見るということになると、結果を出してもらわないかんから、そこまで真剣に組む画廊さんはもういないです。

デビューから6年目で仏像の展示につなげて、
私はもう仏像以外を展示作品に入れたくなくて
仏像だけを出してたんです。
馬鹿にされるのが嫌だったので。

そしたら、お客さん減りました。

同級生に理由を聞いたら、正直に言ってくれて、

「浩太※6、お前の展覧会は疲れる!」
「え? 疲れるか?」って聞いたら、
「もうなぁ、料理で言うたら箸休めがない。」
「肉ばっかり食わされている気がする!」って言われて、
 それで、はっと思って

あっ、そしたら今までの作品も
やっぱり、出さないかんかぁと思って、
それで仏像の横に今までの鳥やら能彫やら子どもやらを ちょっと添えて、ワンテーブルをそのコーナーにしたんですよ。そしたらまた 少しづつ お客さんが来てくれるようになりました。

あぁ、自慢しいの個展はあかんのや!と思って、
で、それから今の展覧会もいろんなもの、リアルなものからほんまはこんな人おれへんねんけどなと思う様な神様をちょっともじって造ったり、昔話や伝記に出てくるような女の子や武将とか、そんなんも入れるようにしましたね。

仏像に興味のない人もいるわけですよ。
だから、その仏像ばっかりで勝負をしていた 7〜8年はお客さんが減りました。

同級生の正直な感想が 聞けていなかったら、
多分、もっと仏像にこだわった
"もっともっと仏像仏像っていう展覧会" をやって
技術を見せれば見せるほど お客さんが寄ってこないってことになったと思います。

百貨店なら百貨店のお客様に合わせた作品、
「百貨店で わしな、こんなん買うたんや! どやっ!」
 って友達に自慢話ができる様な作品にしておかないと、
「何や、そんなん買うたんかいな?」とか言って、
 けなされたら、もう二度と買いませんからね。

それまでは能彫も童も彩色と金泥だけだったんですよ。
截金は使ってないです。
だから、金泥を塗って鯛の牙でその金泥を擦ると結構光沢が出るんです。
金もその頃はそんなに高くなかったから、
もうふんだんに使って その当時は作品を造ってました。

それが功を奏して
「おぉ、よう光ってんなぁ」とか言うて、
「カワセミも羽が光ってるもんなぁ」とか、
 よう言うてくれました。

キラキラしてるので 家に飾ったら結構飾りのいいものになったりとか、あと会社への進物や外国に持っていったりというお客さんもいました。
それでお遣い物で使ってもらったりしていましたね。

長いお付き合いの相手だとお遣い物で渡すお土産を、もう何を渡していいか わからんという時があるらしくて、
あっ、これやったら使えるなぁっていうので、使ってくれましたね。
あれは運が良かったと思います。

プレゼント先の人たちにも ちゃんと縁をつないでくれて ありがたかったですね。

ある日突然、これあんたの作品ちゃうんかなぁ?
といった問い合わせがあって、

「これは、作ったことないですわ。」
「いや、ちゃんとサインあるやないか!」
「すいません 私のサインと違いますわ」って言うたら、
 そのお客さん
「え? "悠睦(ゆうぼく)"って書いてある!」

「それ、"悠陸(ゆうりく)"です。。」
 ありゃぁ〜って。

「すいません」
 なんで、私が謝まらな あかんねんっ(笑)
 って思いながらね。

で、こっちからの親切で
「贋作にお気をつけください」って警鐘を鳴らして、
これから"悠睦"とはっきり見とかないかんなぁとかいうので、美術業界がちょっと動いてくれたのも、あれは逆に今となったら良かったです。

「"悠睦"、"悠陸"、あっ、違うわ!」って
それでしっかり見てくれるようになって、名前の知名度というか、そういうのを上げるきっかけには なったと思います。

何があるか分かりませんね。

仏具屋と百貨店とでは
お客さんも違うのですね。

その雰囲気がね、それぞれ変わってきます。
百貨店ではオリジナルをやっぱり出してくるのでね。

だからに鳥、童、能彫へいって、仏像に入って
すぐ大阪へ来ました。

京都で仏像を彫りだしたら、本家や仏具屋さんと かち合うやろうと思って、当時は仏師が大阪!?って言われるからこそ、
「よし!(膝を叩いて)大阪行こう!」
 ということで大阪に来たんです。

仏師という肩書き、それで京仏師でしょ。
「大阪へ離れたから、お前は浪花仏師や!」
「へい、へい、へい、なんとでも言え!」って(笑)

いろいろと言うもんですよ。

実際には、やっぱり大阪へ来てよかったと思います。
周りを気にせんと もう自由にやりましたから。

展覧会も少しバリエーションを広げていって。
30年を超えたんやから広がって当然なんですけど。

この作品にはこんなバックの話があります、
この人がこんなんを彫るんかというのが、まず一つ。

で、作品にお客様に合うエピソードがなかったら、その材木のこと、道具のこと、体調のこと、そういうのも含めながらいろんな会話をすると、それがお土産として持って帰ってくれる。

買ってもらうだけでなくて、そんなんで長くお付き合いをしていくと、
何かの縁があって
「いや、実はなぁ、孫が生まれたんや。」と話してくれて
「昔ながらやけど、こんな俵を積んでなぁ、
 昔は こんなん あったんや、
 でも 今こんなん作ってくれる人なんか おらん。
 こんなん できへんか?」

「できますよ」って、それを造ったり、

兜が欲しいといった話の時は
「人形屋さんにありますわ」って言ったら、
「木で造って欲しい」っていうのがあったり。

そんなんで会話をしている間にいろんな外題っていうか、要望をいただけて、そのモチーフも増えていって。

で、それを毛嫌いして彫らないとか、切り捨てていくんじゃなくて、今回はこんな物語の展覧会、個展にしたいなとかいうのがあったら、 これを入れて こうしようかなとか、いう風になっていくんですね。

そうすると 展覧会を年に2本打ったら、例えば広島の展覧会へ行くけど、東京も来てくれる場合があるんですよ。

それでも「おんなじ、展覧会やなぁー」って言わせない様にちょっと匂いを変えるというか、そういう風にはやるようにはしてきたんですね。
それがわかるのに20年、25年かかりましたね。

いろんな人が今、展覧会を 仏像、子どもや 動物をちょっと人間っぽくしたのもやったり、若手がいろんな作品を造っています。

あれは展覧会へ見に行きたい、面白いと思う人が多いのは、あって然りですね。

だからうちの子たちへも
「やっぱり、自分の好きなもん 彫りぃ」って言って作品を造らせて、3年か4年に一回ぐらいは展覧会をやってあげたいですね。

先生が培ってこられたこと、耐え忍んできたこと、
前に先生が、生半可なものじゃないとおっしゃっていた
そのストーリーの一部をお聞かせいただきました。

今回は、人生に響くお話をありがとうございました。

1 今でも仏具屋さんとのお付き合いは3軒だけ。
2 東京に本社がある画廊さんで、その後のエピソードは大阪の支社長とのもの。
3 外題(げだい)書物の外に描かれるタイトル。
  箱の外に描かれる名前で中の指定のない状態のこと。
4 木取り(きどり)とは、丸太や板などの原木から、
  節・割れなどの欠点を避けつつ、用途に合った木材を無駄なく切り出す工程や
  その方法のことです。
  木目や品質を考慮し、「歩留まり(ぶどまり)」を
  最大化する非常に重要な作業です。
5 能彫刻など
6 腕はあって当たり前。
  で、百貨店でやる時に納期に間に合わないのが当たり前で。(笑)
  私は当時、作家と言われる方々は、納期は遅れて当たり前というのを
  後から知ったんですよ。

  私らは納期を言われると、お師匠さんのところでも父親のところでも、絶対!
  それは絶対条件なんで、守ってました。
  納期に合わすというのは、納期を守らないのが当たり前の作家の中では、
  やっぱり印象に残るんですよ。

  だから、百貨店の外商さんにしろ、画廊にしろ、
  「あいつ、言うたら日にち守りよるなぁ」

  というので信用してくれたんかなぁというのもありますね。
  「あぁ、寝んとでも やりよるわぁ」って。

  建築の方でも納期って結構の厳しい。
  そういう会長であったり社長であったりという人は、
  おっ、納期が3ヶ月やなとか、半年やなとか。
  その半年の最終日から1日でも超えたら返品ですわ。
  最終日までに持ってきたらOK。

  あんたは一回も納期を違(たが)えたことがないなぁ。
  ほやったら、このお寺が いついつに落慶(らっけい)がある。
  それに今度はこんな仏像を入れないかんという話があるんやけど、
  一回聞いてみるか?とか、
  そんなんで少しづつ、百貨店でお寺の仕事を取るというのができるようになった。

7 先生の名前「浩太朗」からのニックネーム。